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関東三大祭りの起源と異説

関東地方には、古くから多くの方に愛されている伝統の祭りがたくさんあります。

その中でも規模が大きく有名な3つのお祭り「石岡のおまつり」「佐原(さわら)の大祭(たいさい)」「川越祭(かわごえまつり)」が「関東三大祭り」として、現在全国に名を馳せています。

このページでは、「関東三大祭り」の起源や異説などを解説します。

「関東三大祭り」という言葉の起源

石岡囃子発表会

戦後の混乱と祭りの復活

終戦直後の昭和21年(1946)、戦後社会が混乱する中で、現在の「石岡のおまつり」である「常陸國總社宮例大祭(ひたちのくにそうじゃぐうれいたいさい)」が、山車や獅子などの風流も含めて復活しました。

もちろん、祭礼を自粛する声も上がりましたが、山車6台、獅子12台が繰り出され石岡の町はにぎわい、その後も徐々に戦前に見られた活気を取り戻していきました。

「関東三大祭り」の起源

そんな、戦前の祭りの活気を取り戻す中、昭和27年(1952)9月8日の新聞『いはらき』に掲載された記事の中に「関東三大祭」というキャッチフレーズが登場するのです。

当時の石岡観光協会長だった川並要氏の「総社宮大祭と観光石岡」という記事の中に、このような記載がありました。

…毎年九月九日の大祭は関東三大祭の一つに数えられ古来盛大に行われ全町山車、獅子、屋台の外余興で近郷近在よりの人出に市中雑踏を極める…

参考:昭和27年(1952)9月8日 新聞『いはらき』

その当時の石岡観光協会副会長だった今泉義文氏によりこの文章は考えられたのですが、今泉氏は昭和34年(1959)に『石岡郷土資料』にも、関西三大祭についてこのように解説しています。

祭の起源は三百年前の江戸時代の中期、即ち幕府又は武家の祭りが民衆に移った時、祭りの特徴は全町一致神に感謝、市民相互に睦み合う事、然して儀式的に行はること、関東三大祭とは、いろいろ異説があるが、佐原市、武蔵府中大国魂神社とされている、佐原の囃子、府中の暗闇祭、いずれも全町一致行はるところに共通点がある。

参考:『石岡郷土資料』

こうした解説は、若干意味不明な部分もありますが、いずれにせよ「関東三大祭り」という文言は、石岡のおまつりに関わる人によって名付けられたと考えられています。

また、名付けた当時は現在と違い「石岡のおまつり」「佐原の大祭」「大国魂神社例大祭」の3つと記載されていました。

利根川・北浦・霞ヶ浦水運の要衝として栄えた佐原、武蔵国の総社だった府中を石岡と並べることで、総社である「常陸國總社宮」があり、また商業の町として栄えた石岡の歴史的背景を表現したと言えます。

現在の「関東三大祭り」

今泉氏によりつくられた「関東三大祭」という文言は徐々に広まっていきました。

当初は、「石岡のおまつり」「佐原の大祭」「大国魂神社例大祭」の3つを関東三大祭りと紹介されていましたが、徐々に「石岡のおまつり「佐原の大祭」「川越祭り」の3つを指して紹介されることが増えていきました。

詳細な理由は不明ですが、大国魂神社例大祭が「関東三大奇祭」と呼ばれるようになったことなどが考えられています。

関東三大祭りの異説

「関東三大祭り」を「石岡のおまつり」「浅草三社祭(あさくささんじゃまつり)」「日光二荒山(にっこうふたあらやま)夏祭」とする説を説く石岡のおまつりの世話人の方がいたと石岡のおまつりの歴史実態調査報告書には記されています。

ですが、これは祭礼の中身やその歴史的背景に着目せず、「単に有名な祭を並べただけだ」などという批判が出たため、現在まで定着することはなかったとも書かれています。

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