令和7年は「香丸町」15年に一度の年番制度とは?順番や歴史を解説

石岡のおまつりは「年番制度」というものがあり、全36の町内の中で15町内が一年交代で仮殿(おかりや)をつくり、神様をお迎えする当番制度があります。
2025年(令和7年)の年番町は「香丸町」です。
年番は、非常に重要な役回りで、いわばその年の祭りの「主役」といってしまってもよいかもしれません。
現在の制度は明治35年(1902年)に始まり、下記の順番で15年に一度「年番町」となり、神社に奉仕します。
年番町の順番
年番町には順番が決まっています。100年以上にわたりこの順番で年番を担当しています。
1.森木町 | 9.青木町 |
2.大小路 | 10.幸町 |
3.土橋町 | 11.国分町 |
4.金丸町 | 12.中町 |
5.守横町 | 13.若松町 |
6.富田町 | 14.泉町 |
7.仲之内町 | 15.香丸町 |
8.宮下町 |
年番制度の歴史
年番制度の起源については諸説あるようで、ここではその一説をご紹介します。
明治35年から始まった年番制度について、総社宮に伝わる「祭礼議定」にはこう記されています。
明治33年8月県社に列せらるヽにより、一層荘厳にせられんがため、同35年8月29日神官氏子総代各町区長、石岡町役場に会合し協議の上左の条項の如く議決候のこと。
第一条 祭事は石岡市内16カ町にて勤任すること
第二条 年番町は例祭に角力を奉納し、神輿は其町に渡御のこと
年番順序抽選をもって定む
明治33年には、草案はまとめられていたということですね。
「16カ町」とありますが、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、上記でご紹介した15の年番町に加えて「木之地町」という町内が当初は年番町の一つでしたが昭和27年に脱退しています。
祭礼議定の現代語訳
常陸国総社神社が県社に昇格したことに伴い、例祭をより荘厳に行うことを目的として、神職、氏子代表、各町の区長および石岡町役場が集まり、以下の通り協議・決定した。
第1条
例祭における祭事は、石岡町の16町によって奉仕するものとする。
第2条
年番(当番)となる町は、例祭に「角力(すもう)」を奉納し、神輿をその町へ渡御(お渡し)すること。
ただし、神輿を出すかどうかは、例祭の前月10日までに、年番町と氏子代表が協議の上で決定し、むやみに出御しないこと。
第3条
年番町は、神輿の送迎や角力の奉納に関して、最初から最後まで誠意をもって担当・奉仕すること。
第4条
御仮屋殿(神輿を一時安置する仮の建物)は、全町で協力して建てること。
なお、その費用は各町1町あたり約2円を目安とし、不足分は有志からの寄付でまかなうこと。
第5条
年番町は、祭典費用として全町から寄せられた金額を受け取り、うち3分の1を社務所に納め、学校生徒への供物費とする。残りの3分の2は角力・神輿渡御の費用に充てる。
※氏子1戸あたり1銭5厘を各町の区長が集め、9月5日までに年番町の区長へ送付すること。
第6条
年番の引き継ぎは、毎年の例祭当日に、神前で執り行うこと。
第7条
帳簿の引き継ぎを受けた年番町は、その翌年の例祭日まで、祭典に関するすべての協議に対応し、全町との調整および社務を補佐すること。
第8条
年番町が、例年行っている町同士の交際(贈答やお付き合い)として、屋台・山車などに金品を送る慣習があるが、祭事奉仕中はこれを控えること。
年番の引き継ぎ
毎年、石岡のおまつりの最終日「還幸祭」の夜に年番の引き継ぎが行われます。引き継ぎ式が行われる場所は年番町によってばらばらですので、見かけられたらラッキーです。
年番の引き継ぎ式は、年番を担当した町への労いと、次年度の年番町への激励をし年番提灯を引き継ぎます。
引き継ぎの様子
年番は町民にとって特別な年
普段はお祭りは見ているだけという人でも年番だけは山車、獅子を引きたいと言って参加する方も多いです。
また、各町内、年番には趣向を凝らし、半纏のデザインを一新したり、山車を改修したりといった新たな取組をする町内が多いです。
石岡のおまつりを見に来られる際には、ぜひ年番町の山車や獅子を見学してみてください。