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金棒引きとは何?江戸から続く金棒引きの役割と起源について解説

日本各地には、はるか昔から大切に守られてきた伝統的な祭りが数多く存在します。春には五穀豊穣を願い、秋には実りへの感謝を神に伝える。

祈りの形として、祭りは私たちの暮らしに根付いてきました。さらに、人知の及ばない疫病や天災に対しても、人々は恐れを抱きながら、神に平穏を願い続けてきたのです。その中で、確かに祭りを支えてきた「金棒引き(かなぼうひき)」はご存じでしょうか。

あまり知られていないかもしれませんが、金棒引きは昔から祭りの安全と神聖さを守る重要な役割を果たしていました。この記事では、「金棒引き」について詳しく解説し、現在も金棒引きが行われている祭りを紹介いたします。


金棒引きのことを知れば、いつもの祭りが少し違って見えるかもしれません。今よりもっと深く、そして楽しく祭りに参加できるようになるでしょう。

金棒引きについて

祭りでにぎわう行列や屋台。その先頭に立ち、金属製の棒を「カンカン」と鳴らしながら進む人物を見かけたことはありませんか?
彼らは「金棒引き(かなぼうひき)」と呼ばれ、祭りに欠かせない大切な役割を担っています。

金棒引きの主な役目は、以下の通りです。

  • 行列が通ることを知らせる露払い(つゆはらい)
  • 神様が通る道を清める
  • 災いや厄を祓う
  • 行列や祭りを守る警固(けいご)の役目(現代では警護の意味も)

地域によっては、金棒引きが持つ提灯に特別な文字が書かれていたり、足元を照らすために提灯を後ろ向きに持つといった独自の風習も見られます。子どもたちが金棒引きを務める地域もあり、伝統は時代とともに姿を変えながら、今も大切に受け継がれているのです。


金棒引きの風習はいつから始まったのでしょうか。その起源について、詳しく見ていきましょう。

金棒引きの起源

江戸の町を守る鳶の者たち

金棒引きのルーツは、江戸時代にまでさかのぼります。当時の江戸の町では、「鳶の者(とびのもの)」と呼ばれる男性たちが、町の安全を守る警固役として活躍していました。

鳶の者は、火事の多かった江戸で“町火消し”としても知られており、鉄の棒、すなわち「金棒(かなぼう)」を手に、夜回りをしていたといわれています。

江戸時代は、数々の祭りが誕生した時代でもありました。なかでも有名なのが、江戸幕府の公式行事として知られる江戸天下祭。

将軍への上覧を前提に、町内ごとに趣向を凝らした山車を出して、その豪華さを競い合う一大イベントでした。
当時、神輿や山車にも力を入れていたのはもちろんですが、庶民の間で人気があったのが「附祭り(つけまつり)」であったといわれています。

附祭りには、担ぎ万度、練物、造物、踊台、地走踊、底抜屋台、そして警固役など、さまざまな出し物が加わり、毎年テーマの異なる豪華な行列が組まれていたのです。

ここで登場したのが、先ほどの鳶の者たち。彼らは、行列の先頭に立ち、金棒を鳴らしながら進む「警固役」として任命されました。

その金棒には、ただの警備道具という意味だけでなく、厄払いの力や災いを鎮める神聖な意味も込められていたのです。

神が宿る神輿や山車の道を清め、祭りを守る存在としての役割を果たしたのでしょう。

手古舞と金棒引きの違いとは

江戸時代、祭りの行列を警護する鳶の者たちは、「木遣り(きやり)」と呼ばれる掛け声や唄を響かせながら行進するようになりました。

木遣りの唄は、力強く、粋で、祭りの雰囲気を一層盛り上げる役割を果たしていたのです。木遣り文化が広まる中で、新たに登場したのが「手古舞(てこまい)」です。

手古舞とは、女芸者たちが鳶の者のように男装し、木遣りを唄いながら踊る姿のこと。その粋な姿と華やかな振る舞いは人気を集め、やがて祭りの行列にも登場するようになりました。

江戸中期以降、女性や子どもも祭りの行列に参加できるようになったことで、手古舞は祭りに呼ばれる存在へと発展。

江戸後期には、天下祭の附祭りの行列にまで加わるようになります。ここで気になるのが、「手古舞」と「金棒引き」の違いです。

見た目は似ていても、役割には明確な違いがありました。当時の資料によると、次のように区別されていたそうです。

  • 手古舞:鳶の者のように変装し、木遣りを唄って踊る女性
  • 金棒引き:同じように男装していても、金棒を手にしている者

装いは似ていても、「唄うか」「金棒を持つか」で役割がはっきりと分かれていたのです。金棒引きは行列の秩序と安全を守る“警固”の役割、手古舞は祭りを華やかに彩る芸能的な役割だったのかもしれません。

時代を超えて受け継がれる金棒引き

かつて祭りの華として人々を魅了した豪華な山車。明治時代に入ると不景気の影響や、町中に張り巡らされた電線による制約などから、山車文化は急速に衰退していきました。

それにともない、山車を引き立てていた附祭りも次第に姿を消していきます。しかし、祭りの本質が失われたわけではありません。

形は変わっても、祭りの秩序と神聖さを守る重要な役割は、今もなお受け継がれているのです。そのひとつが、金棒引き。

祭りの先頭に立ち、行列の進行を導く金棒引きは、現代でもいくつかの地域で大切に守られています。現在でも金棒引きが存在する祭りをいくつかみてみましょう。

東京都:江戸吉原おいらん道中

一葉桜まつり「江戸吉原おいらん道中」サイトより引用
開催地東京都台東区奥浅草
特徴金棒引きが先頭で金属棒を鳴らし、花魁道中の露払い役を務める提灯を持ち後ろ向きに歩き、道中の安全を祈念する役割手古舞と共に江戸風俗を再現した行列が特徴

栃木県:山あげ祭

山あげ祭サイトより引用
開催地栃木県那須烏山市
特徴金棒引きが屋台行列の先導役として参加他町への訪問時には、金棒引きが露払いとして世話人衆と共に先導

栃木県:伊王野温泉神社「付け祭り」

那須町の文化遺産HPより引用
開催地栃木県那須郡伊王野町
特徴屋台の先導役として、翌年入学予定の児童が法被姿で金棒を鳴らす男女各3人が参加し、地域の伝統を継承

茨城県:石岡のおまつり

茨城県議会議員「といた和之」の活動日記より引用
開催地茨城県石岡市
特徴幌獅子大行列で、年番町の女の子がカラフルな袴姿で「金棒引き」を務める

今回ご紹介した祭り以外にも、各地で「金棒引き」の伝統が残されていることがあります。もしかしたら、あなたの町の祭りでも金棒引きが見られるかもしれません。注目してみるのも楽しいですね。

まとめ

今回は、江戸時代から続く「金棒引き」についてご紹介しました。祭りの華やかさだけでなく、その背後にある意味や歴史を知ることで、これまでとはまた違った魅力を感じられるのではないでしょうか。

もし機会があれば、行列の先頭で祭りを守り、道を清める金棒引きの姿をぜひご覧になってみてください。きっと、今までとは一味違う祭りの楽しみ方が見えてくるはずです。

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