7度半の迎えをうけて出ると言われるささらとは
富田町のさららは、土橋町、仲之内町の獅子とともに、神輿の露払いをつとめる格式高いものです。
この3つの町内の中でも、富田のさららは先頭をつとめることから、より格式高いことがわかります。
1日目の御仮屋への供奉行列の先頭と、3日目の総社宮への供奉行列の先頭の2回のみ見ることができます。とても貴重ですので、ささらが見たい方は、供奉行列の時間を確認して石岡に来てください。
7度半の迎えを受けて出ると言われており、劉備玄徳の三顧の礼の倍以上の回数というのが驚きです。
「半」というのは、8回目の出迎えに行こうとすると、途中まで出てきてくれていたというちょっぴりおちゃめな一面もあります。
石岡のおまつりの「ささら」の歴史
正確には、いつごろから登場したのかは分からないようですが、江戸時代中頃から記録があり明和年間(1764-1772)の祇園祭においてすでに神幸行列の先頭を務めており、青屋祭の先払いに起源を持つ可能性があります。
ささらの特徴
ささらは、大きく分けると獅子に分類され、地域によっては「ささら獅子舞」と言われます。
ささらは、全部で3匹で「老獅子」「若獅子」「女獅子」と呼ばれており、2本の角(女獅子にはない)を持ち、顔全体を黒漆で塗られています。目や歯、角の先端などは金箔が施されのどの部分には、軍鶏の羽があしらわれています。胸の前には、飾りの太鼓を持っています。
屋台の上では、笛と太鼓によるお囃子が演奏されており、石岡のおまつりのお囃子の中では唯一、笛が複数(3人程度)によって奏でられます。この笛の音色により、よりミステリアスで格式高い雰囲気が醸し出されています。