「シャッターを開けたい!」想いから始まる―囃子と郷土史がつくる“場”の力

小美玉市小川で「お祭り広場わっしょい」を運営する藤井孝一さん。粋州囃子連の代表であり、郷土史研究の書き手でもある藤井さんに、祭りとの出会いから拠点づくりの背景、継承への思いまでを聞いた。
目次
祭りとの出会いや、囃子との関わりについて教えてください。
藤井さん:
小学校2年生の時、地元の囃子団体の募集チラシを見て入ったのが最初です。
太鼓や笛の音がただただ好きで、演奏することが楽しかった。高校時代にはご縁があって石岡の祭りにも参加するようになり、大学で免許を取ってからは行動範囲が広がって、千葉・香取の佐原囃子の団体にも所属しました。
異なる文化圏の囃子に触れたことで、間の取り方や付け打ちの考え方など比較の目が養われ、地元の演奏にも還元できた実感があります。
「お祭り広場わっしょい」を立ち上げようと思ったきっかけは何でしたか?
藤井さん:
きっかけは、空き家活用のセミナーに出たことでした。
もともと「商店街を明るくしたい」「祭りや郷土の歴史を伝えたい」という気持ちが強かったのですが、小川の街は、以前は商店街が賑やかだったのですが、今ではどこもシャッター通りになってしまっていました。
なんとか、まずはシャッターを開けて自分一人でもいいので、なにかできないかと考え、親戚が持つ空きテナントを整えて試しにシャッターを開けたんです。
最初は窓辺にポスターを貼るくらいだったのですが、ところが「うちに獅子頭がある」「古い写真がある」と近所の方が次々に持ち寄ってくれて、展示が自然に膨らんでいきました。
掃除の段階から同級生が手伝ってくれたのも心強かった。結果的に、若い人が練習に集まり、資料が集まり、人の縁が集まる“場”になりました。
広場を開いてから、地域の方々や通りすがりの人の反応で印象に残っていることはありますか?
藤井さん:
通りに面したオープン展示だから、覗き込む人が絶えません。「こんな資料が家にあった」と持参してくれる方も多い。
来訪者のなかには郷土史の猛者もいて、議論が始まって自分の学びにもなる。何より「シャッターを開ける」ことで、助けてくれる仲間や偶然の出会いが生まれるのだと実感しました。
手づくりの舞台や内装も、地元の若い子たちと一緒に形にしました。個人的には、両親の居場所づくりという思いもあります。店番をして人と交わる時間を、ここでつくれたらと。
後継者育成や若い世代への継承に向けて、どのような取り組みをされていますか?
藤井さん:
囃子は技術だけでなく「心」が要る。演者同士はもちろん、見ている人の気持ちも大切にしたい。
伝える方法に正解はなく、言い過ぎると自分の頭で考えなくなる面もあるから、若い世代には発見の余地を残したいです。祭りは二日~~三日間の「非日常」。365日のうちのその三日で気持ちを解放し、再生する。その価値を実感できれば、続ける力になるはずです。
一方で、祭りは本来“風流”として変化してきた歴史もある。文化財として守る視点は大事ですが、時代に応じた伸びしろも忘れたくない。
石岡・小川・鉾田・土浦に連なる「囃子文化圏」の交流が、互いの誇りと学びを磨くと信じています。
見栄や意地の張り合いは難しさでもあり、推進力でもある。外を見ることで、自分たちの立ち位置も見えてくるはずです。
最後に、これから「お祭り広場わっしょい」をどのようにしていきたいか教えてください。
藤井さん:
無理に大きくするのではなく、「自分たちでもできる」と思える敷居の低さを保ちたい。
シャッターを開ける、ポスターを貼る、資料を置く――その小さな一歩が街を動かす。若い人が練習に集まり、資料が集まり、来た人同士がつながる。その循環を太くしていきたいですね。
将来的に飲食と組み合わせた“人が滞在する仕掛け”も有効だと思います。大人になってからこそ分かる祭りの尊さを、日常の延長線上で手触りある体験にしていく。
自分が子どもの頃に大人たちから受けたアシストを、今度は自分が次の世代に返していきたい――それが「わっしょい」でやっていることの核です。
編集後記
藤井さんの言葉に何度も出てきたのは「非日常」と「場」。祭りは二日~三日間の熱で終わらない。通りに開いた“場”が日常に点在すれば、熱は一年を支える力になる。
シャッターを開ける勇気が、人を呼び込み、記憶を集め、未来の担い手を連れてくる。小川の商店街から始まった小さな実験は、地域に眠る力をそっと起こしていると感じました。
石岡には、まだこのような郷土資料を集めた交流の場はありません。「お祭り広場わっしょい」が成功し、石岡やその他の祭礼地域にもこのような交流の和が広がることを心から応援したいと思います!